TALENT
【活動歴】
1980年
18歳、R&B、オールディーズに魅せられ、歌い始める。いろんな音楽を探究していくうちに1977年に他界し、 日本では過去の音楽と位置づけられていたELVISの音楽と人間性に魅かれていく。
1982年
ELVISのファンクラブに入会し、レクリエーションの場で歌とパフォーマンスを披露したことが話題になり、ファンクラブのバンドのシンガーに大抜擢される。
久保講堂で開催された「第5回ELVISは永遠に」で30分間熱唱し、好評を博す。
1985年
オールディーズが日本全国でブームになり、多くのオールディーズ・ライブ・クラブが開店する中、六本木ロリーポップ のオーディションに合格し、 ザ・プリズナーを結成する。クラブシンガーとして多くの経験をつみながら、米軍キャンプ、日本全国の イベントに数多く出演する。
この頃からアメリカで歌うことを目標にし、英会話の勉強を始める。
1990年
初めての渡米。キング・ELVISの魂が息づくメンフィスを初めて訪れ、ダウンタウンのライブハウスで歌い、好評を博す。
1991年
「インターナショナル・エルヴィス・インパーソネーターコンテスト」初出場で準優勝を獲得する。
1992年
同大会に再び挑み、大会史上初の東洋人チャンピオンとなる。
その後15回にわたり聖地メンフィスに渡り、唯一の東洋人チャンピオンとして歌い続け、熱狂的な支持を得ている。
2001年
ネバダ州ラスベガスにおいてイベントに出場し、更にアメリカでの活躍の場を広げる。
2002年
ラフリン・ネバダ州で開催されたコンテストに出場し、決勝戦に選出されるが。日本でのスケジュールの都合で辞退する。 同年6月、ラスベガスで開催されて 「ELVIS CONVENTION]にてザ・プリズナー、川原真琴と共に渡米し、3日間合計4回のイベントをサポートする。 8月、ELVIS没後25年を 迎えたメンフィスに渡米、メンフィスELVISウィークで期間中3回のステージを行う。(同記事がディリー新聞に掲載される。)
2003年2月
六本木ロリーポップで毎月開催している「J-ELVISナイト」が話題になり、雑誌、TVの取材を受ける。
同年 5月
カリフォルニア・パームスプリングで開催された「A Weekend with the King」にザ・プリズナーはオフィシャル・バンドとして 招待される。そのリスペクトフルな演奏はELVISの友人であったチャーリー・ホッジを始め、多くの関係者に絶賛される。
同年 7月
音楽評論家の川れい子さん協力のもと、ギター界の神様ジェームス・バートンを招いて待望のトリビュートコンサート「Play it James!」を企画、制作、運営し 自らもシンガーとしてステージに立つ。 六本木センセーション&新橋ヤクルトホールの2日間の公演で総勢800人の観客を前に夢の共演を実現させた。
同年 9月
20年間の長きに渡り、ELVISシンガーとして日米で活躍し、多くの日本人にメンフィスの魅力を伝えてきた努力が認められ、テネシー州メンフィス市から、 名誉市民賞を受賞する。
2004年
メンフィス・ホリデイ・イン・セレクトにて世界中から集まった1000人を超えるELVISファンの前でJELVISならではのステージを披露し、 熱狂的なスタンディングオベーションを受ける。