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森泰仁【ELVIS Rock n' Roll 】

森泰仁は活動はアメリカの音楽をモチーフに国籍を超えたエンタティナーになることを目標にしている。 彼の音楽に対する真摯な姿勢と経験豊かでアメリカンナイズされたステージは これからも多くの オーディアンスを熱狂させていくでしょう。

主な出演履歴

【TV】
《米国》
CNN「エンターテイメント・トゥナイト」 アジア MTV「MTVアジア」
CBS「イブニングニュース」
ABC「ABCニュース」
NBC「NBCニュース」

《日本》
MTV「MTVアジア」
NHK衛星「ジャパン・トゥディー」「アジア・ナウ」
テレビ朝日「アッコにおまかせ」
テレビ東京「ニュース・ワイドイレブンー生きがい、巡り合い」
フジTV「世にも奇妙な事件帳パート2」「100%キャイーン!」
日本テレビ「TOKYO TV ギャング」
【新聞・雑誌掲載】
《海外》
ニューズウィーク(米)
ボルチモア・サン(米)
ザ・タイムズ(英)
アジアウィーク(アジア)

《日本》
日刊スポーツ、ライフマガジン、報知新聞、タイムズ 週間読売、AP通信、週刊現代、フォーカス、ジャパン・タイムズ、朝日イブニングニュース 他多数

その他

【活動歴】

 

1980年
18歳、R&B、オールディーズに魅せられ、歌い始める。いろんな音楽を探究していくうちに1977年に他界し、 日本では過去の音楽と位置づけられていたELVISの音楽と人間性に魅かれていく。

1982年
ELVISのファンクラブに入会し、レクリエーションの場で歌とパフォーマンスを披露したことが話題になり、ファンクラブのバンドのシンガーに大抜擢される。
久保講堂で開催された「第5回ELVISは永遠に」で30分間熱唱し、好評を博す。

1985年
オールディーズが日本全国でブームになり、多くのオールディーズ・ライブ・クラブが開店する中、六本木ロリーポップ のオーディションに合格し、 ザ・プリズナーを結成する。クラブシンガーとして多くの経験をつみながら、米軍キャンプ、日本全国の イベントに数多く出演する。
この頃からアメリカで歌うことを目標にし、英会話の勉強を始める。

1990年
初めての渡米。キング・ELVISの魂が息づくメンフィスを初めて訪れ、ダウンタウンのライブハウスで歌い、好評を博す。

1991年
「インターナショナル・エルヴィス・インパーソネーターコンテスト」初出場で準優勝を獲得する。

1992年
同大会に再び挑み、大会史上初の東洋人チャンピオンとなる。
その後15回にわたり聖地メンフィスに渡り、唯一の東洋人チャンピオンとして歌い続け、熱狂的な支持を得ている。

2001年
ネバダ州ラスベガスにおいてイベントに出場し、更にアメリカでの活躍の場を広げる。

2002年
ラフリン・ネバダ州で開催されたコンテストに出場し、決勝戦に選出されるが。日本でのスケジュールの都合で辞退する。 同年6月、ラスベガスで開催されて 「ELVIS CONVENTION]にてザ・プリズナー、川原真琴と共に渡米し、3日間合計4回のイベントをサポートする。 8月、ELVIS没後25年を 迎えたメンフィスに渡米、メンフィスELVISウィークで期間中3回のステージを行う。(同記事がディリー新聞に掲載される。)

2003年2月
六本木ロリーポップで毎月開催している「J-ELVISナイト」が話題になり、雑誌、TVの取材を受ける。

同年 5月
カリフォルニア・パームスプリングで開催された「A Weekend with the King」にザ・プリズナーはオフィシャル・バンドとして 招待される。そのリスペクトフルな演奏はELVISの友人であったチャーリー・ホッジを始め、多くの関係者に絶賛される。

同年 7月
音楽評論家の川れい子さん協力のもと、ギター界の神様ジェームス・バートンを招いて待望のトリビュートコンサート「Play it James!」を企画、制作、運営し 自らもシンガーとしてステージに立つ。 六本木センセーション&新橋ヤクルトホールの2日間の公演で総勢800人の観客を前に夢の共演を実現させた。

同年 9月
20年間の長きに渡り、ELVISシンガーとして日米で活躍し、多くの日本人にメンフィスの魅力を伝えてきた努力が認められ、テネシー州メンフィス市から、 名誉市民賞を受賞する。

2004年
メンフィス・ホリデイ・イン・セレクトにて世界中から集まった1000人を超えるELVISファンの前でJELVISならではのステージを披露し、 熱狂的なスタンディングオベーションを受ける。

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